先日、母校(という感覚はまったくないが卒業した大学だから母校なんだろう)の同窓会だよりが届いて、ゼミでお世話になった先生が退職されることを知りました。
お別れの挨拶が載っていたんですが、当時と何ら変わることのない若干面倒な性格がにじみ出たそこはかとなくイヤな感じの文章でした。文字からシレッと嫌味が漏れ出してる。ああ懐かしいこの感じ。
「学生の自主性は最大限に重んじます。ゆえに留年するのも自由です」っつーモットーの御仁だったので、積極的に学生を卒業させようという気持ちはほとんどなく、ぼーっとしてても何も教えてはもらえない。
行き詰るまで自分で調べて、それでもわからないところはガンガン質問しまくって、それでもよくわからないところは先生のアドバイスも受けながらとりあえずやってみる。
実験の組み立てさえちゃんとしてれば、結果が思ったものではなくても無駄にはならなかった。
勉強の面白さはこの先生に教わったのかもしれないな。(時すでに遅かったけど)
妻子持ちとは思えない頻度でしょっちゅう飲みに連れて行ってくれた(実際は半分くらい学生が飲みに連れ出していた)けど、お酒は好きだけど強くはないタイプでいつも帰りにはフラフラしてたから、酒を飲まない車通学のワタシがいつも自宅まで送って行ってたな。
一度、何か不愉快になることをワタシたちがしてしまったのか、飲み会途中で嫌な感じで先に帰るとか言い出して、ひとりで地下鉄で帰っていったことがあった。
残されたワタシたちは何なのアレみたいな空気になって、若気の至りとでも申しましょうか、酔っ払いのノリで(ワタシは思いっきり素面だったので何の言い訳にもならないが)みんなを乗せて先生の家まで車を走らせ、地下鉄を乗り継いで帰宅する先生を先回りして家の前の公園の向こう側で待機、先生が家に入って一息ついた頃合いを見計らってゼミ生のひとりが先生の携帯に「おかえり」とメールをする、というイタズラをしことがあったっけ。
もはやスポット的ストーカー行為。多少反省はしている。
どうやら部屋に入ってソファに座ってふぅと息をついたとたんにメールが届いたらしく、先生はしばらくことあるごとに「あれは怖かった」と言っていた。
しかし酔いがさめてみれば(そもそもワタシは酔ってなどいなかったのだが)さすがにやりすぎたという気がしないでもなかったので、みんな一様に気まずく、誰もネタばらしをしなかった。
先生はずっとあのメールは偶然のタイミングで届いたと思っていたようだけど、あのあと誰かネタばらししたのかなあ。(他人事かよ)
ちょっと面倒な性格はしていたけど、学生と一緒に遊んでもくれるいい先生だった。
卒業してから何年かしてから研究室に遊びに行ったら、ワタシが卒論の実験で使った渾身の手作り張り子の仮面(どんな卒論だ)がまだ飾ってあって、うれしいような懐かしいような恥ずかしいような微妙な気分になったっけ。
しかしこの先生、当時はまだうら若き乙女だったワタシのことをあらくれ呼ばわりした御仁でもある。
腰が痛いという先生の代わりに20キロ近いページプリンタ運んであげたりしただけなのに。スキー場のホテルの部屋で栓抜きがなくて瓶の栓が開けられないと嘆くから、ベルトのバックル使って開封してあげただけなのに。(多分それだけが理由ではない)
世話にはなったが、いちいち失礼なおじさんでもあった。
もう20年くらい会ってないので今更お祝いもお礼もなかろうと、ここで思い出を語ってみた。
おつかれさまでした。先生のゼミを選んでよかったなって思ってますよ。本人に言ったことないけど。
引き続き、消しハン訓練中です。
Continue reading “修行するぞ。”